午前中、VW社の排ガス不正問題の背景と経緯を説明した。何故?という疑問がいまでも頭の中を過るが、純一郎も黙ってハカセの話を聞いていた。
「さて話の続きをしようか?純くんはディーゼルの高燃費、排気ガス浄化の難しさなどはかなり理解できて来たと思う。だから、不正問題の技術的な内容については勉強にもなるので、理解してもらいたい。」
「10の疑問点にも挙げたけど、➋何故VW社が排気ガス不正問題を起こしたのか、僕は本当に知りたいと思っていた。VWは昔から尊敬していた会社だからね。」
「VW社が明かした不正内容は、結論から言えば、排気ガス試験時には排気ガス規制に適合するように制御するソフトウェアが組み込まれていたということだった。厳しいNOx規制を満足するために、JettaはNOx触媒として低価格で搭載上問題の少ないLNTを選択した。ただ、この方式単独では米国NOx規制に適合することは難しく、EGR量を多くしなければならなくなった。EGRを多くすると空気量が少なくなり、PM量が多くなって、DPFへの負担が大きくなる。米国規制では浄化装置の耐用期間は、12万マイル(≒19.3万km)と決められていた。この時5万マイル(≒8万km)でDPFを交換しなければならず、このままでは法令違反になって発売できない。
そこで、シャシダイナモメータ⁴⁸⁾(図2-9の右下写真)による排ガス測定時には、エンジンECUが測定時であるということを認識できるようにした。そして法規制に適合するようにEGRを高めに制御してNOx量を抑制するような特殊なソフトウェアをECUに入れた。
一方、実走行中とECUが認識した場合、そのソフトウェアではEGRを低く制御し、NOx量をはるかに規制値を超えるようになった。EGR量が低いため、PMの発生量は下がり、DPFへの負担を抑えられた。その結果、DPFが12万マイル以上交換無しで済むようになったのである。ただその結果として、Jettaの実路NOx値は規制値の15-35倍もの値となった。ちなみにPassatの場合、SCRを採用してNOx量は全体に下がってはいるが、規制値の5-20倍のNOx値を示した。これがいくつかの文献、記事から簡単にまとめた真相だね。」
「結局はプリウスに対抗するために、クリーンディーゼルの限界に挑戦したけれど、DPFの耐用年数がネックになった。その結果クリーンディーゼルはプリウスに勝てなかったということになるね。」
「クルマは排気ガス規制、燃費規制を守りながら、性能(出力・トルク)、燃費、価格、サービス性などで競争するわけだ。当たり前だけれど、バランスの中に規制を入れてはいけない。クリーンディーゼルの実路NOx値は、NOx触媒にお金を掛けさえすればモードNOx値と同レベルに出来たはずだ。だからこの事件の教訓で、クリーンディーゼルは高価格車向きだ考えた方がいいね。図2-8の外観図からも感覚的に高価格というのが理解できるよね。」
「クリーンディーゼルの基本コンセプトは間違ってないということだね。結果的には早く世の中に知ってもらって良かった思うよ。」
「ところで、実はこの事件にはもう一つ重要なおまけがついている。不正事件の影に隠れてしまってあまり騒いでいないが、私はこちらも重要だと思っている。それはガソリン乗用車に比較して、ディーゼル乗用車の実路NOx値(規制対象ではない)が、モードNOx値(規制対象)の何倍かの量を排出していることは、既にICCTは2012年11月に報告していたということだ⁴⁹⁾。図2-14にその報告内容示した。VW不正問題が起きる3年前に、ICCTが欧州の排気ガス規制EURO3(2000年)、EURO4(2005年)、EURO5(2009年)、EURO6(2014年)に対して、実路NOx値は、2倍➡3.2倍➡4.4倍➡7.5倍とモードNOx値との差が大きくなっている。」
出典☛Laboratory versus realworld:Discrepancies in NOx emissions in the EU@ICCT(2012.11.7) より加筆
「さらに不正問題が発覚する半年前となる2015年3月には、図2-15に示すようにICCTがガソリン車との実路NOx値の比較⁵⁰⁾を発表していた。欧州の排気ガス規制EURO1(1992年)規制からEURO5(2009年)規制に対して、ガソリン車のNOx規制値と実路NOx値のずれが許容範囲であるのに対し、ディーゼル車は規制値と全く乖離した測定結果になっている。ガソリン車の三元触媒システムは実路値だろうと精度よく制御できるのに、ディーゼル車は排気ガスの抑制精度はかなり悪いと言える。その結果、排気ガス規制は年々厳しくなってもディーゼル車の実路NOx値は変わらない状態、むしろ増加した時期もあったという衝撃的な結果が既に発表されていたということだ。」
出典☛Real driving emissions:Challenges to regulating diesel engine in Europe@ICCT(2015.3.11) より加筆
「何かこちらの方も問題だね。」
「勿論、実路NOx値の測定方法に定まった方法はないし規制対象でもないので、その測定方法含めて慎重に議論・合意しなければならないと思っていたのだろう。ところが、この事実が騒がれる前にVW社の不正問題が先に発覚したため、やっとこの時になってディーゼル車の根深い問題が浮き彫りにされたということかな。」
「ディーゼルの実路NOx値はおかしいと欧州自ら気付いていながら、VW社の不正が発覚するまで誰も騒がなかったのは、何か釈然としないね。」
「まあ、クリーンディーゼル車でHV相当の燃費を得ようとすると、世界のトップ技術を有するVW社でも北米の厳しい規制では限界を超えてしまったということだね。ただ、このままDVは消えていくかというと、そうではないと思う。欧州ではNOxの排出よりもCO2の排出の方を問題視している。また新興国では舗装されていない道が多く、やはりトルクが大きいディーゼル車の方が売れるそうだ。DVはそうは簡単に消えてはいかないね。
一方、ガソリンエンジンの燃費は、ディーゼルにかなわない。ただしガソリンはクリーンなエンジンであることには間違いない。燃費さえ伸びれば、まだまだ単独の動力源として使えそうだ。GVもそう簡単に消えるということはなさそうだね。さらには、ガソリンエンジンはHV、PHVの動力源としての重要な役割も残っている。
ドイツで生まれたガソリン乗用車、ディーゼル乗用車であるが100年の時を経て、今をピークに姿を変えようとしているのは事実だ。」
「といってもいきなりEVにはまだまだ時間がかかりそうだね。しかし、今回の不正問題で逆に浮かび上がったのは、プリウスHVだ。そんなに今のHVって凄いんだなぁ。」VW社をこれほどまでに追い詰めたHVに、純一郎は少々興味がわいてきたようだ。ガソリンエンジン、ディーゼルエンジンの基礎的なこと、現在の課題を理解してもらったとハカセは思った。談義の方は少々休んで、彼には夏休みをもっと満喫してもらうつもりだ。ハカセ自身は次のHVの討議の準備を明日から始めようと考えていた。夏真っ盛りの午後である。@2019.7.25記、2019.12.6修正
《参考文献および専門用語の解説》
48)シャシダイナモメータ☛ローラーの上にクルマのタイヤを載せて運転し、燃費・排気ガスなどを測定する装置
49)「Laboratory versus realworld:Discrepancies in NOx emissions in the EU」ICCT@2012.11.7
50)「Real driving emissions:Challenges to regulating diesel engine in Europe」ICCT@2015.3.11