翌日朝食を済ませると、早速クルマ談義が始まった。
「これまではガソリンエンジンの燃焼の話しをしてきたけれど、今日はディーゼル燃焼について話を進めよう。第8話でディーゼル熱効率の話をしたけれど、覚えているかな?」
「えーと、ディーゼルエンジンの圧縮比は、ε=16~18。ガソリンエンジンに比べると高かくなる。圧縮行程で高圧縮された高温空気中に、燃料が高圧噴射される。高(こう)が3つ続くんだよね。そして噴霧に火が着いて燃焼行程へ続く、ということかな?」
「よく覚えていたね。ディーゼルの燃焼形態はガソリンの乱流火炎伝播(第5話)と異なる。インジェクターノズル部の多噴孔(6~10ヶ所程度)から高圧噴射されて燃料噴霧をつくる。その噴霧の外側から、順に高温空気と拡散されて(混ざって)混合気をつくる。その混合気が高温空気で一気に着火して燃焼すると、燃焼は噴霧の中へと拡がっていく。ガソリン燃焼は予め空気と混合気をつくって燃焼するので、予混合燃焼と言われている。それに対して、ディーゼル燃焼はバーナーと同じように炎の外から必要な酸素が噴霧との拡散によって混合気を作り燃焼していくので、拡散燃焼と呼ばれている。そのため、どうしても過剰の空気量がいるので、比熱比κは大きく、圧縮着火するため圧縮比εも大きくなってしまう。それで理論熱効率ηthは大きくなるということだ。
過剰空気ということもあって、燃焼ガスの熱容量は大きく冷却損失仕事WL1は小さくなる。さらに、ディーゼルエンジンには吸気スロットルが必要ないので、絞り損失は少なくポンプ損失仕事WL4が小さい。その結果、図1-8で説明したように全域にわたって正味熱効率はガソリンに対してが高い。」
「単純に圧縮点火と火花点火の違いと思ってたけれど、燃焼の形態も随分違うんだね。」
「軽油は引火点(45~80℃)が高いため(第4話)、ガソリン(引火点-46~-35℃)と違って混合気をつくるのに苦労する。拡散空気と混ざっても、噴霧外部の混合気は中々一様にならず、所々高温燃焼したり不完全燃焼したりして燃焼形態は場所によって異なる。そのため、有害成分であるNOx、PM³¹⁾(黒煙)を多く発生させてしまう。この大量のNOx、PMのお蔭でディーゼル車は臭い、汚い、うるさいというレッテルを貼られてしまった。ディーゼル燃焼は空気過剰燃焼であるから、CO、HCはほとんど酸化されて量的には極めて少ない。ただ、2大有害ガス成分となったNOxとPMの発生が多く、これを如何に抑えるかが、ディーゼル排気ガス浄化の大きな課題になる。」
「ガソリンエンジンは有害成分CO、HC、NOxを三元触媒システムで酸化還元できたけれど、ディーゼルはできないんだったね?でもPMはコモンレール³²⁾で高圧噴射して噴霧を微粒化をすれば、ほとんどなくなると聞いていたけれど?NOxはかなり難しそうだね。」
「実はディーゼル燃焼には、PMとNOxのトレードオフというややこしい関係がある。噴霧を微粒化して燃焼を活発させると、高温燃焼となってPMは少なくなるが、NOxを大量に発生させてしまう。したがって、NOxを下げるには低温燃焼(16話で話したが、2000K以下)に近づけなくてはならない。ただ、そうすると燃焼が不活発となってPMが発生してしまう。PM、NOxの同時低減を狙って、先ずは高圧コモンレールでPMを一気に減少させ、インタークーラー³³⁾、クールドEGR³⁴⁾³⁵⁾で吸気温度を下げて低温燃焼に近づけてNOxの発生を抑えるというのが常套手段にようだ。ところが、年々排気ガス規制が厳しくなり、複雑な後処理システムを追加することになった。これがクリーンディーゼルと言われるディーゼルエンジンだ。クリーンディーゼルの全容を図2-12に示す。」
「この図で➊高圧コモンレールは必須アイテムだ。過給機、インタークーラー、クールドEGRも標準装備となっている。触媒システムは3つから構成される:
➋酸化触媒☛三元触媒と同じ構造でHC、COなどの酸化だけ行う。
➌DPF³⁶⁾☛高圧コモンレールでも発生してしまったPMを内部でトラップして排気温度で燃焼(酸化)させるというセラミックフィールター。
➍NOx触媒☛主にLNTとSCRの2種類³⁷⁾のタイプがあり、NOxをN2に還元する
図2-12を見て、クリーンディーゼルは複雑なエンジンシステムとなり、如何にもお金がかかりそうなことが想像できるだろう?」
「以前はスッキリしていたディーゼルエンジンが物凄いことになっているね。」
「昔から、技術はSimple is best!だと思うよ。私が乗用車用としてディーゼルエンジンを見放し始めたのは、コモンレール単独でNOx削減ができないからだ。コモンレールでは、デジタル噴射率制御と言って燃料噴射率のパターン制御が多少ともできるが、NOxを直接消すようなことはできない。これは辛いね。」
燃費はいいが、高価格になってしまったクリーンディーゼル車、燃費の有意差が大排気量NAエンジン車と変わらなくなってきたD/Sターボ車。共に更なる燃費低減を狙ったエンジンの解なのだが、ここに来て世の中に少々合わなくなってきたという感じがするね。
実はそんな背景の中で、世界を大きく揺るがす大事件は起きた。2015年9月18日、アメリカ合衆国環境保護庁であるEPA³⁸⁾は、VWグループに対して、大気汚染防止法の違反通知を発行してしまった。それもフランクフルトモーターショーの真最中に、その事件は報道された。純くんの10の疑問の2番目に、何故VW社は排気ガス不正問題起こしたのか、というのがあったね。ディーゼルエンジンの排気ガス浄化が難しいことは理解してくれたと思う。問題はクリーンディーゼルの複雑さ故に問題が起きたと私は思う。」ということで最後にVW社が起こした不正問題について技術的な内容に触れることにする。これはディーゼル乗用車が今の世の中では限界に近づいていることを示す大事件だとハカセは思っている。@2018.12.13記、2019.7.23、2019.12.4修正
《参考文献および専門用語の解説》
31)PM☛Particulate Matterの略。ディーゼルのPMはの主成分は黒煙(スス)からできている。一般には大気中に浮遊している固体または液体の微細な粒子状物質の総称。中国で問題になっているPM2.5は分布の中心が2.5μmだけれども、ディーゼルのPMの粒径は市場では、20~60nm(0.020~0.060μm)の大きさなのでナノ粒子と呼ばれている。
32)「私のコモンレール開発物語」伊藤昇平;JSAE Engine Review Vol.6 No.4. 2016,p19@自動車技術会
33)インタークーラー☛吸入空気を走行風により冷却する熱交換器。過給機付きエンジンにはよく使われる。
34)EGR☛Exhaust Gas Recirculationの略。排気ガスの一部を吸気管に還流させるシステムもしくはその還流排気ガスのこと。吸気管前にはEGRバルブがついており、これでEGR量を制御。
35)クールドEGR☛EGRバルブ前に冷却水でEGR(ガス)を冷やす熱交換器。
➊全域における効果
❏吸入空気に排気ガス(CO2、H2O)が混入されることで、熱容量が増加し熱損失が低減して燃費が向上
❏クールドEGRにより、NOx焼温度が下がりNOxが低減
➋低負荷、高負荷域の更なる効果
❏低負荷域☛EGRにより酸素量が低下し、スロットル開方向にすることでポンピング損失が低減し、燃費が向上
❏高負荷域☛クールドEGRで筒内温度が下がり、プレイグニッション、ノッキングを抑制して出力/トルクが向上
36)DPF☛Diesel Particulate Filterの略。ディーゼル-エンジンの排気ガス中の有害物質を含む微粒子を除去するフィルターのことをいう。微粒子はフィルター内で酸化する。その方法は連続再生のタイプとコモンレールの後噴射で排気温度を上げて酸化させる強制再生のタイプがある。
37)LNT➡Lean NOx Trap(NOxをリーン時触媒に吸蔵して、リッチ時N2に還元)、SCR➡Selective Catalytic Reduction(噴射した尿素水を加水分解させて発生したアンモニアでN2に還元)。LNTに対してSCRはシステムが複雑で価格的に不利ではあるが、NOx還元率は高い。
38)EPA☛United States Environmental Protection Agencyの略;アメリカ合衆国環境保護庁